昨年7月のこと。
中西商店(EMMA COFFEE)で曽我部恵一さんのライブが開催された。
自分の店でサニーデイ・サービスの曽我部さんがライブをするなんて。
人生には想像もできないサプライズが時々あるのだ。
僕のコーヒーを美味しいと飲んでくれて本当に嬉しかった。
ライブの後に地元のお寿司屋さんで取った巻き寿司を食べながら小さな打ち上げをしたが、何を話したか全く思い出せない。
「すごく良いお店ですね。是非また呼んでくださいね」と声をかけてくださって、本当にそうなれば良いなと心から思っていた。
そして今年も
ライブの企画を手伝ってくれている友達と会議をかさね、曽我部さんのライブ企画が実現することになった。
しかも今年は中村ジョーさん(ザ・ハッピーズ、中村ジョー&イーストウッズ)も一緒に。
おまけに、中西商店(EMMA COFFEE)でのライブの翌日は、浜松の舘山寺でもライブをするというショートツアーに僕も同行することになったのだ。
マジでヤバい夢の2日間。
日程が決まってからは、やっぱり毎日ドキドキして待ちきれなかった。
曽我部さんは中村さんを自身が運転する車に乗せて東京を深夜に出発し、早朝には大阪に到着していた。
前日に東京蚤の市でライブをしていたそうなので、そのタフさに驚かされる。
ライブの時間まで仮眠を取ったり、コーヒーを飲んだり、近くの山口納豆さんで納豆食べ放題のランチを食べるなどして過ごしておられた。
2人とも自然体で柔らかい空気感を持っている人だ。
カフェの営業中に2Fのギャラリーとワークスペースをフルに使って物販を並べた。
予想以上に大量のグッズが送られて来たのでちょっと焦ったが、ライブ後にこのグッズの多くは売れてしまう。
この日は店を早仕舞いして16時ごろからサウンドチェック。
リハーサルとはいえ2人が歌い始めると空気が一変し、僕たちも作業の手をついつい止めてしまう。贅沢な時間。
18時の開場とともに続々とお客様が店に集まり始め、一気に活気が出る。
今回は前半が2Fギャラリースペースで曽我部さんと中村さんのトークライブ、後半が1Fに降りてライブ本番という構成になっていた。
前半のトークの題材は雑誌『音楽と人』(1997年10月号)を読みながら当時のことを話すという内容でお願いしていた。
当時のサニーデイ・サービスとザ・ハッピーズの話、雑誌に掲載されている写真の撮影秘話、「当時は尖っていたからテキトーなこと言ってたなぁ」と和やかなムードで会場が包まれていた。
お客さんの多くが青春時代にサニーデイ・サービスやザ・ハッピーズを聴いていた世代の方々だったので、皆さん目を輝かせながら2人の話を聴いていたのが印象的だった。
そして1Fへ移動してライブ本番。
まずは中村さんから。
「そう思う」や「空っぽの青春」などソロの曲の他にも、ザ・ハッピーズの「スカッとさわやか」など数曲。
中村さんのギター、独特のハスキーな歌声がめちゃくちゃかっこよかった。
実は中村さんのライブを見るのはこれが初めてだったのだが、一気にファンになった。
続いて曽我部さん。
「6月の歌」「天使」「満員電車は走る」「さよなら!街の恋人たち」など
とにかく圧巻。
歌っている間は棒立ちになってしまう。
それぐらい圧のあるライブ。
「Yeah!エマコーヒー最高!」
と叫んでくれた時はマジで泣きそうになった。
「僕の地元の香川県坂出市はすごく田舎で、商店街もほとんどシャッターがおりちゃってる。豊能町は田舎だと思う。でもこんな場所があるっていうのはいいなぁ。自分もこんな事がいつかできたらいいなと思う。」
とMCで話してくれた時はもう感無量だった。
アンコールでそかべさんと中村さんの2人で演奏した「Wild Wild Party」で会場が一体に。
楽しそうに歌っているお2人。
マスク越しでもわかるぐらいお客さんの顔がみんな良すぎて
自分の店で起こってる事が信じられないくらいの高揚感。
音楽好きだった父に「もうちょっと長生きしとけばこの場に一緒におれたのに」と思ってしまった。
でも多分一番いいところで聴いていたと思う。
ライブの後もお客さんと一緒に過ごしている曽我部さんと中村さん
レアなグッズを物色している人たちや、興奮気味にサインをお願いする人たちの様子を見ているのが幸せだった。
前日に引き続き、曽我部さんと中村さんに同行して浜名湖にある舘山寺というお寺でライブ。
僕たちは受付、ドリンクの提供、そして物販のお手伝いで参加した。
朝大阪を出発してお昼頃に舘山寺に到着。
機材の設営と物販を並べた後
浜松在住の友達にお願いして買っておいてもらった浜松餃子の名店「喜慕里」の餃子を本堂の横で焼かせていただき、みんなで昼食。
(参拝客もいらっしゃるのに、本堂の横で餃子焼かせて頂いて、本当にすみませんでした。。。)
その後、舘山寺のお隣のサゴーロイヤルホテルの露天風呂で温泉を堪能し
住職の計らいで座禅体験までさせて頂いた。
その後サウンドチェック。
「ヘタなライブハウスより音いいね」と中村さんも驚くほど音の鳴りがよかった。
PAの松澤さんも「本堂の空間と機材の相性が良かったのかもしれない」とのこと。
本堂はお客さんで満員。
中央に吊るされている天蓋がキラキラと輝いて綺麗だった。
舘山寺でも同様に前半はトークで後半にライブという構成。
2人がトークを始めたが、途中で曽我部さんが「もうこの雑誌面白くないんだよ!」と言ってテーマを無視して話し始めた(笑)
25年も前の話をしろと言われても無理があったのかもしれない。。そりゃそうだ。
僕は記録写真をずっと撮っていたが、もう写真はそこそこにして2人のライブをゆっくり見ることにした。
ライブは言うまでもなく最高だった。
ジョーさんはこの日もめちゃくちゃかっこよくて、キャッチーなメロディーが今も頭から離れない。
この日の曽我部さんのセットリストは前日と違ってメロウな曲が多く、「6月の歌」が特に沁みた。(知らない人は聴いてほしい。)
涙を拭っている人も客席に見えた。
ギター1本、身ひとつで多くの人の心を動かすこのお2人の力を、僕はなんとも表現できないが
稚拙な表現で言わせてもらうなら、やぱりこの2人は「最強」だった。
「また来年もやろうね」と言ってお2人は東京へ、僕たちは大阪へ帰った。
次はどんなライブになるか、今から楽しみでしょうがない。
曽我部 恵一(そかべ けいいち)
1971年8月26日生まれ。乙女座、AB型。香川県出身。
'90年代初頭よりサニーデイ・サービスのヴォーカリスト/ギタリストとして活動を始める。
1995年に1stアルバム『若者たち』を発表。'70年代の日本のフォーク/ロックを'90年代のスタイルで解釈・再構築したまったく新しいサウンドは、聴く者に強烈な印象をあたえた。
2001年のクリスマス、NY同時多発テロに触発され制作されたシングル「ギター」でソロデビュー。
2004年、自主レーベルROSE RECORDSを設立し、インディペンデント/DIYを基軸とした活動を開始する。
以後、サニーデイ・サービス/ソロと並行し、プロデュース・楽曲提供・映画音楽・CM音楽・執筆・俳優など、形態にとらわれない表現を続ける。
中村ジョー
1970年10月29日生まれ 蠍座 O型。
90年代初頭に結成した「ザ・ハッピーズ」のボーカリストとして音楽活動をスタート。グループサウンズ、昭和歌謡、黒人音楽、70年代フォークロック等に影響を受けたサウンドでファイルレコードで作品を発表後、96年MIDIレコードよりメジャーデビュー。2枚のアルバムを残し1999年解散。
解散後はソロユニット「JOEY」として活動。後期はガレージロックバンドに姿を変えMIDIレコードより2枚のアルバムを発表後2002年解散。
2003年よりアコースティックギターでの弾き語りをメインとしたソロ活動を開始。サポートメンバーを交えた「中村ジョーグループ」名義でのライブ活動も行う。
2006年ROSE RECORDSよりファーストアルバム「Blue Box」、2009年にセカンドアルバム「Sweet Heat」をリリース。2012年5月、福岡史朗をプロデューサーに迎えたサードアルバム「風船と口笛」をリリース。
2014年には原点回帰のガレージソウルでシティッポップな楽曲を演奏する中村ジョー&イーストウッズを結成し、2015年4月、デビューアナログ7吋EPをROSE RECORDSよりリリース。
大阪府豊能町生まれ 20代前半に「おもしろそう」という理由でトロントへ渡りコーヒーショップで働き始める。カナダでの生活、人や文化、ヘラジカが好きになり、カナダ人になることを本気で計画するも、家の事情で実家の豊能町へUターン。 2014年、家業である中西商店を引き継ぎ、店舗の一角でEMMA COFFEEを開業。 2021年、中西商店を全面的に改装。あらゆる人が自由に過ごすことができる「公園」を作ることを目標に中西商店をリニューアルし、多様なイベントやプロジェクトを企画。同時にEMMA COFFEEを自家焙煎化し、オリジナル商品の開発やコーヒー豆の卸にも力を入れている。
INFORMATION