初めての海外は、随分大人になってからだった。
それから毎年数週間の休みをとって、夫婦2人で海外旅行をするのが恒例行事に。
しかしながら行く度に、「もう当分旅はいらない」と思う。
私は旅が苦手だ。
かなり神経質な体質なうえ、胃腸も弱けりゃ気も弱い。完全に旅には向いていない。
実際、到着してたったの2日で倒れて見知らぬおじさんの背中にしがみつきバイクで病院まで運んでもらったのは初めての海外旅行の時だった。
それから毎年旅はするけど何かしら不調やアクシデントに見舞われ、「枕が変わると眠れない」なんて私に言わせればそんなのは序の口。眠れないどころか朝起きたら片方の瞼が蕁麻疹で腫れて開かない。真の神経質とは、こういう人間のことを言うのだ。
しかし、旅を終えもうこりごりだと思っていても、年が明けて寒い2月にぽっと暖かな日が現れ始めると「今年の旅はどこにしよう」と旅への意欲が自然と湧いてくる。
(…本当のところは仕事の繁忙期に現実逃避したくなるだけかもしれないのだけれど…)
そんなわけで去年の傷が癒えた私はまた性懲りも無く旅に出るのだ。
旅が苦手なら家で大人しくしていればいいのに、わざわざ旅に出たくなる。
それには「ノスタルジー」が大きく関係しているんだ、と気づいたのはアイスランドの「ハイランド」でのことだった。
そこはアイスランドの内陸部で、道路は無舗装。どこを目指していたのかは忘れたけれど、氷河が溶けたことにより出現した川に行き先を阻まれて、時速20キロで2時間かけて走ってきたガタガタ道を引き返す羽目になった。
しかしそこでの光景は何よりも忘れ難い。
360度、見渡す限りの高原。雲の中みたいな世界に点在する白い羊と、大地の割れ目に白く流れる無数の滝。
初めて訪れたはずのこの場所で私は、猛烈に郷愁に駆られた。
ここに絶対来たことがある。でもそれはいつなのか…
引き返す車の中で、私はハッとした。
それは幼い頃、頭の中で思い描いていたおとぎ話の世界だった。
それからというもの、私にとって旅の醍醐味は”最も純粋だった頃の自分”に再会すること。言葉も通じず、ルールも違う異国での旅は、今まで培ってきた当たり前の事がことごとく役に立たなくて、何をするのも恥ずかしく、常に躊躇いがつきまとう。それはまるで小さな子供がお使いに出されたみたいな感覚で、ストレスだけどどこか懐かしい。不思議なことにすっかり忘れていた遠い昔の歌が頭の中で永遠に再生されたこともあった。
そうこうしているうちに私の中のぬるま湯みたいな固定概念が、帰る頃には新鮮で冷たい水に入れ替えられている。
リセットされるのだ。
現在はちょうどまる3年、海外へは行けていない。
民泊のオープンや新居での暮らしなどがありそこそこ刺激は足りているのだけれど、
小さな私が「そろそろいかが?」と呼んでいるので
次はどこに行こうかと妄想を膨らませている。
民泊ATELIER TONARIと約4反の栗園を営むイラストレーター。
自称ネオ百姓。
好きなものは民話と童話。
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