いいものってなんだろう。
美術館や博物館にあるもの?
古いもの?
高価なもの?
好きなもの?
有名な人が「これは良いよ」って言ったもの?
「いいものってなんだ?」
数年前から、この疑問が頭の中から出てきて、私の周りをぐるぐると渦巻いて離れながった。
分からないから知ろうと
本を読んだり、
「いいもの」と言われるものを見に行ったり、
そして人に聞いた。会いに行った。
クリップボードにA4サイズの藁半紙を挟んで、インタビューした人達の口から出る「いいもの」を書き留める。
そうしていく内に
ゆっくり、段々と、うっすらと
「いいもの」の輪郭がかすかに現れてくる。
それは、蜃気楼なのかもしれないけれど。
時代や文化、価値や人によって違うということは予め変わっていたことだが
同時に、様々ないいものの積集合が核としてるのでは?と考え始めた。
では、そのいいものの「核」って何?
山際からピンクの雲が見えてその周りが桃色に。
山の向こうの方で橙の強い色がぽっと光り、すぐには空は桃色と藤色が混ざり合う。
空の片側は深い青。
鳥の鳴き声や風の音に耳を澄ませ
雲の形が変わってゆくのを眺め、川や田んぼの水の綾や見つめ、核となるものの存在を考える。
核は見えそうで、見えない。
このままでは「いいもの」が逃げていきそうで、私はそこに近づくために、能動的に表現をするという方法を選んだ。
見たり、聞いたりという受け身ではなく、自身で作ったろうそくを使って、動く。
闇雲で。それでいいと思って。
その一つの動きが中西商店で行った「一音孤灯」。
ぼんやりと黄昏時に太陽の動きを追っていると、頭の中がシンプルになった。
複雑に考えず、シンプルなことをしよう。
私はろうそくを作ることができる。
では、そのろうそくの明かりに照らされる「なにか」を見よう。
見るだけでなく、五感をしっかり使って
その「なにか」を味わおうと。
EMMA COFFEEで出会ったハンドパン奏者SHU君。
SHU君のハンドパンの音を、暗がりのろうそくに灯りの中で体験するという試み。
暗闇の中で音を感じる。
音も、灯りも、即興。
彼の生み出す音は、じっくりゆっくり人も空間も包み込む。
その場所がどこかにあるかもしれない
「なにか」を探して
私は灯す。
灯りと影の作家
お寺の廃蝋燭を再生して新たなるろうそくを制作。
それらのろうそくを使い、『陰翳礼讃』の世界観を意識した空間演出、インスタレーションを手掛ける。
-暮らしに仄暗さの美を-
山々に囲まれた里山にある古民家に住み、夜から朝へ、昼から夜に変わるあわい時間を散歩することが日常。
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