僕がEMMA COFFEE(中西商店)を初めて訪れたのは、2020年の1月頃、ちょうど店舗の改修が本格的に始まろうとしていた頃だったと思います。コロナ禍が始まる直前。
よくよく考えるとそれからまだ2年くらいしか経っていないんですね。
初めてここを訪れた時、「いちげんさん」である僕の話を、中西さんが仕事の手を止めて、とても真摯に聞いてくれたのをよく憶えています。
たまたまEMMA COFFEEの常連だった松澤さんと僕が10年来の知り合いだったり、色んな縁があって、結果、僕もEMMAに入り浸るようになりました。
その中で僕が中西さんに常々言っていたのが「中西商店の映像が撮りたい」ということでした。
まあしかし、普通は「『映像が撮りたい』って何やねん」という話ですよね。
「映像で何を撮るねん」という話で。
僕はSNSでバズらせる動画のノウハウを持っている訳でもありませんし、ただ単なる「ドキュメンタリーを齧ったことのある映像カメラマン」ですし。
僕としては、ほんとに何でもよかったんです。あの中庭の吹き抜け、渡り廊下なんか物凄く演劇的というか、映画的な空間を作り出すのに向いていると思いますし、100年続く中西商店の歴史を撮っても面白いでしょうし。
そんなふわっとしていて具体性の無い僕の話を、中西さんは「ふんふん。いいですね。でもちょっと恥ずかしいですね。」とか「ふんふん。ここで映画とか演劇とか出来たらいいですね。僕もそれ思ってました。ふんふん。」とか言いながら聞いてくれる訳ですが、一向に具体的な話にならない笑。
(余談ですが、彼は中2くらいに突然感情を表出する術を失ってしまった過去があって、内心ではめちゃくちゃ心が動いていても、それが全くと言っていいほど表に現れない、ということがままあるのです。まあ男子は往々にして中2くらいでそうなりますけども。)
そんな話をしながら、時には焚火をしたり、閉店後の店内で新聞の朝刊配達のバイクが来るような時間帯まで無駄話をしたり、いろんな時間を一緒に過ごさせて貰いました。
そんなこんなでしばらくして、2021年の5月頃、突然中西さんから「短めのドキュメンタリーってお願いできたりしますか?」と連絡がありました。
この地域で2年に一度開催される「のせでんアートライン」の地域企画の一環として、中西商店で何か出来ないか、というお話があり、その流れで「このお店や地域に集まる人達で映画を撮って、このお店で上映するのはどうか」と考えてくれたようでした。
中西さんはほんとに「商店の息子」というか、人との出会いや繋がりを大事にする人で、あの能面のような表情の裏側で、ちゃんと「何か映像に撮って貰えることはないか」と考えていてくれたんですね。
中西さんが目指す、「みんながそれぞれの『好き』を持ち寄って、面白いことが生まれる場にしたい」という、この場所のコンセプトにピッタリの企画でした。
僕は文字通りの二つ返事で「やります」と答えました。
それからなんやかんやありまして、ドキュメンタリーの主人公は、中西商店のある豊能町の隣町「能勢町」にある、お惣菜とお弁当デリ「ノマディック」を営む大谷さん一家に決まり、6月に顔合わせをしてから中西商店で上映する11月まで、撮影期間としては約4か月程、暇さえあれば能勢町に通い詰める日々が始まりました。
そもそも「短いドキュメンタリー」というお話でしたが、走り始めたらそんなことは関係ありません。
なんと言っても中西さんと立花さんが折角持ち掛けてくれたお話ですし、会って撮影を始めたら大谷さん一家のことが大好きになってしまいましたし、撮り始めたからには、カメラを持って関わったからには、「ちゃんとした」ものにしなければなりません。なんとしてでも。
ドキュメンタリーに関わらず映像作品全般はそうですが、「撮り切らなければ意味がない」ですから。
しかも、僕が目指すドキュメンタリーは「撮ることを通して『未知のもの』『自分を超えるものと出会うもの』」なので、そもそも撮影計画というものはありません笑。ある程度計画はしますが、それは「超えられる」ことを前提とした計画です。
※このあたりの、僕が原一男さんから学んだドキュメンタリーの方法論などについては、また改めて詳しく書きたいと思います。
※こんなことを言っていますが、こと「仕事」となると、ちゃんと枠組みを考えて動きますからね僕は!お気軽にお問合せくださいませ!
更に今回は撮影から編集まで全て一人でやってしまったこと、またノマディックさんがちょうど店舗移転を進めている「動きの多い時期」だったこともあり、4カ月間ほぼ立ち止まることなく撮影を続けなければならず、作品全体を客観的に振り返る機会を持てたのは、11月に入って本格的に編集に取り掛かってからでした。
その間、「なんだか結局何も撮れてない気がする」「この場面は果たして面白いのか」ということを自問自答しながら撮影を続ける訳ですが、煮詰まったときに僕は中西さんに連絡するわけです。
(昔何かの本で、作家の宮本輝さんが、執筆が行き詰った時に、ご自身が作家になることについて背中を押してくれた恩人に夜な夜な電話を掛け、「よくもまあこんなに苦しい世界に俺を送り出してくれたな」と恨み節を長々と聞かせていた、という話を読んだ記憶があるのですが、まさしくそんな感じです笑。)
「なんか撮れてない気がします(苦しいぞどうしてくれんねん)」「どう思いますか?(何か言ってくれよ)」みたいな、なんとも答えようがない僕のメッセージに対して、中西さんは常に「きっと大丈夫です。信じてます。」という返事をくれるのでした。
10月末のノマディックさんの新店舗オープンまでを撮影してから、11月19日~21日の中西商店での上映会に向けて、本格的な編集期間に入りました。
編集と並行して、上映会の広報活動と、中庭での上映テストを進めていかねばなりません。
初めて中庭でテスト用の映像をスクリーンに投影した時、この空間全体に、まるで「映画を上映するために作られた劇場のような雰囲気」が一気に立ち上がった気がして、中西さんと2人で密かに打ち震えました。まさに「あ、言ってたやつこれやんね?ね?」っていう感じでした。
(中西商店でのイベントを見るたびに思うんですが、音楽とかお花の販売とかケータリングとか、どんな種類のイベントをやっていても、なんだか「あらかじめそのために作られた空間」に見えるんですよね。この、なんとも言えない不思議な空間には、そういう懐の深さがある気がしています。)
まだ作品も完成していないし、ちゃんとしたものになるかも全く分からない状況でしたが、スクリーンを貼った中庭側から渡り廊下を見上げて、「当日あの渡り廊下までお客さんがびっしり入ってくれたら、壮観でしょうね。僕は泣きます。」とか言ったりしつつ。
不安ながらもうまくいく予感は、あったような無かったような…。
何とか一本に繋ぎ終えたのは、上映初日である11月19日の朝5:00頃…。
トータル2時間になってしまった作品を初めて通しで観終えた僕は、夜明けのテンションということもあって一人号泣してしまい、中西さんに即座に「なんかすごいの出来たかも知れん」というざっくりとしたメッセージを送りました。
会場に入ってからも映像の最終調整に追われてあたふたと作業していて、初日に駆けつけてくれた大森さん(のせでんアートライン事務局)に「緊張すなすなすな笑!」と突っ込みを貰う始末…。当然お客さんの状況を見る余裕は全くありません。
微調整が追い付かず、「これは上映開始時間を遅らせて貰った方がいいのでは…」などと甘い事を考えていたところで、中西さんは店主として容赦なく「もうお客さん待ってるので入れますねピシャリ」と言い放ちます。
やぶれかぶれでお客さんの前に立って中庭を見上げると、あの上映テストの時に思い描いていたそっくりそのままの光景が目の前にありました。
中西さんの地道なSNSによる告知及び手渡しによるチラシ撒き、のせでんアートラインオフィシャルアカウントでの告知、そして何よりも被写体になってくれたノマディックさんによるお仲間への告知、などが功を奏して、一階から二回渡り廊下までお客さんがびっしり入ってくれていたのです。
「僕は泣きます」とか言っていた訳ですが、その時は正直な話「うわ。ほんまに満席なってるやん…。この寒い中、編集粗い2時間の作品を観て貰うんや…。しかもお金貰ってるし…。逃げたい。逃げちゃいたい。」という思いしかありませんでした。
言い訳じみた挨拶を終えた後、PCの前に立って、まるでミサイル発射ボタンを押すかのような気持ちで「もうどうにでもなれっ!!」と再生ボタンを押したのでした。
2時間の上映中、編集の粗ばかりに目が行ってしまい、誰かがガサゴソと動く度に「あっ!今まさにつまらないと思っている!」、咳ばらいをする度に「あっ!寒い中2時間の作品を観せられて怒っている!」と被害妄想に包まれて、寒い中にも関わらず一人ダラダラ冷や汗をかいていました。
上映が終わって、裁判で判決を受ける被告のような気持ちでお客さんの前に立つと、意外にもみなさんが示してくれた反応は、とても温かいものでした。
「地域で作られた、地域の人が主人公になったドキュメンタリーを、地域の方々に観ていただく」ということで、かなり温かい目で観ていただいたことは事実だと思いますが、あの空間でスクリーンに投影された、下手なりに一生懸命作った映像が「映画」として受け入れてもらえた感触があって、打ち震えた夜でした。
初めての上映会を終えてつくづく思うのは、「この中西商店はほんとに不思議な場所だなあ」ということです。
100年の歴史を持つ商店を受け継いだ30半ばの男が「みんながそれぞれの『好き』を持ち寄って、面白いことが生まれる場にしたい」という想いを持って創り出した空間が、今まさにその通りの働きをしている。
これはほんとに稀有なことじゃないかな、と思います。
中西さんはいつものポーカーフェイスで「イメージしてたらその通りになりますよきっと」とか言うわけですが、ほんとにその通りになるんですね。
これからもきっとたくさんの「好き」や「イメージ」が持ち寄られて、この場所で形になっていくと思います。
兵庫県川西市出身。 映像を撮ったり編集したりすることを生業としています。 大学卒業後、ドキュメンタリー映画監督の原一男さんが主宰するワークショップで映像を学んだり、ウェブ制作会社でディレクターを経験したり、映像制作会社で撮影・編集・演出を担当したり。 紆余曲折の末、ご縁あって中西商店店主・中西信一朗に拾われました。 EMMA COFFEE及び中西商店で映像を撮っている怪しい人がいたら、それはたぶん僕です。 今後、中西商店2Fのコワーキングスペースに頻繁に出没する予定。 見かけたらお気軽にお声かけください。
INFORMATION